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5.3.20

最近のベジタリアニズムは細分化され敷居が下がったが,右へ倣え!!( ゚Д゚)ナ,ナンダ?

ベジタブル・タコスとサルサの,どアップ画像

軍隊のように縦横に整列するレゴ人形の群れ。背景色白一色。6体の顔のない,白い人形が手を降ろした同じ格好で整列しているが,後ろから3番目だけが赤色で,片腕を腕を腰に当て,もう片方を上にあげた陽気なポーズをとっている。いまだになかなか進まない日本のベジタリアニズムだが,(おそらく2010年台中盤くらいから?)過渡期を経て細分化されかなり敷居が下がってきたようだ。

ベジタリアニズムには元々敷居などないのだが,現在に至るまでの日本では,ベジタリアニズムはまるで宗教扱いであった。(というか,大半以上の大多数がそういう反応であった。)

欧米ですら,いろんな形での抵抗感を人々から感じる事は確かにあったが,日本ほどではなかった。その抵抗感とは,雑食の人々が,自らの罪悪感を打ち消したいがため雑食を正当化したり,あるいは,健康的ではないと本気で思ったりしている人々の疑念に道ら態度などであった。

日本では,どんなことでも,他人と違う事はダメなことだ,という極端なワレワレ意識というか,未知のものに対する拒絶反応といったところだろうか??


私個人は他人に対して,ベジタリアニズムを表明したり,また,勧めたり,雑食を諫めたりなどは一切したことがなく,普段も菜食主義であることを隠していたし現在でもそれは変わらないのだが,そもそも,私が思う,ベジタリアニズム精神の目指すところとは,広く人類に受け入れられ実践されることであるから,時が経つにつれ実践者が増えていくことは菜食主義世界の明るい未来そのものだ。


菜食主義を教義の一つとする宗教の信者を除き,もとから肉食である欧米人種が真っ先に宗教抜きの菜食主義の先陣を切って歩んできたのは,やはり,人類において相対的にみて,余裕がある立場であったからだろう。動物も人間も,四六時中目まぐるしく生存競争に明け暮れざるを得ない環境では,ものをじっくり考える余裕すらないという事だ。

日本が欧米並みに肉食をするようになったのは,戦後からだろうと思うが,その日本人が最もベジタリアニズムに対して警戒が解けないように見えるのは何故なのだろうか?

隣の台湾や,また,中国でさえも,ベジタリアニズムは根付いていて,菜食専門店や菜食用の別メニューがある飲食店は何処にでもある。


深く考えず,単純に考えてみると,一つの答えが浮かんでくる。

日本では,「上から全員が従うように強制されなければ,誰も手を付けない」という事だ。これは,選挙で投票に行かない人達にも共通した心理だと個人的には思うのだが,どうだろう?

私は,選挙の投票は,罰金アリで国民の義務として定めるべきだと思っている。

私は,日本人の大半は,日本政府に消費税をいくら上げられても,その消費税の使い道が不透明であっても,そのうち30%や40%になっても,まだ何もしないのでは?と,危惧するものである。


冷笑的な態度でいても,何も変わらない。ベジタリアニズム同様,自分自身の行動を変えなければ,世の中は決して自動的に変わったりはしないのだ。
政府が上から私たち国民の処遇を決定して生存権さえ削られているのが現状だ。
他国の抵抗や運動や闘いを見ていると,何もない日本に,危機感を覚える。
危機感というのは,ここにいると,自分一人がいくら声を上げても,他の日本人はただ上から言われたことに従うだけで,良いように踊らされても平気で生きている者達に合わせて生きて行かなければならなく成るからである。
日本国は昔から互いに戦い続けてきたのだ。そこで天下を盗った者たちが,自分の家族ではなく,味方ですらなく,対等な関係ですらなく,国民のために働いているわけはなさそうだということにすら,考えが及ばないほどに,日本人は余裕がないのだ。なぜかはよくわからない。

私たちのなかで,日本の歴史はどこかで断絶したまま,いまだに繋がらない部分だらけなのではないだろうかと,よく思う事がある。
この世界最古の国家を維持する(それさえ幻想である可能性を否定できないが)それ程古くない歴史ですら,様々な形で断片的に資料などがあるだけで(それらの証拠すら偽造である可能性を否定できていないものが多い),その他は憶測,推測の域を出ない。
多くの歴史好きの日本の人々が,日本は,途中で乗っ取られた国家であると主張している。私は歴史に疎いし,そもそも歴史のように,過去のときの勝者たちが好き勝手に言い放った滅茶苦茶なオハナシの真相を解明するなんて考えただけでも気が遠くなって眩暈に襲われるので,誰かすごい人たちが解明に力を注いでくれることを望むし,出来るなら協力するし,応援する。←結局ソレカヨ



2.3.20

右左という幻想は支配層にとって好都合【日本社会は右左といえる程平等では決してない】の巻



このような話題は、世の中では、多くの人々が避けがちな話題だと思います。
日常では全く聞くことのない話題ですが、誰にとっても明白であるべき内容だと思います。国民同士で見解を照らし合わせるために議論すべき重要な内容だと思います。

因みに私個人の考えを述べますと、右左というのは、実は、「事実現実を見誤らせるための言い方」であり、具体的に言って、「右・左は【同列】であるように感じられる」という面において、欺瞞的表現であると私は思います。


それでは私の考える実際の日本の社会はどういったものかというと、大きく分けて、【支配側と、媒体、(中間管理)、そしてその他】という三つに大きく分けられるものと認識しています。

しかし一方支配側としては、私たち「その他」が勘違いして自らを中流であるとか所謂【右】支配側と所謂【左】は同列である、などと勘違いしてくれれば支配がさらにやりやすいので、こういった言論を社会に仕込み、または野放しにしているのだろう、と考えます。

最近「上級国民」という言葉が盛り上がっていた時がありますが、それは氷山の一角でありまた現在格差拡大によって表出してきた実際の社会構造の姿だと感じています。

 

14.11.19

CBD(大麻から抽出された成分カンナビジオール)製品形態についてのいくつかの疑問



前回は日本と欧州のサプリや健康食品などについてのお話でしたが、さっそく昨日、ほぼ毎月購入しているサイトから、いくつかのサプリを注文した。

そして今日、学術論文を斜め読みしているうちに発見したのがコレ。カンナビジオール製品だ。

麻種(カンナビス・サティバ・L)の成分の一つであり、カンナビジオール(CBD)と云う。 大麻取締法で販売・所持が禁止されていない成分である。つまり合法という事だ。

ついでに言うと、大麻取締法では、大麻の所持、無免許栽培などは禁止されているが、使用については禁止されていないという。・・・という事は、所持しないで使用すればいいのである。(どうやって??( ´艸`))

カンナビス ・・・かむなび ・・・多くの人は気づいているだろう。日本の古語で『かむなび』なんと神々しい呼び名であることか!

・・・とまあ、それは置いといて・・・

CBDという成分は、大麻の種や茎から抽出されている、という事だ。(実際のところはしらないが・・・)

一方、酩酊感もあるTHC(テトラヒドロカンナビノール)は、雌株の大麻草の実受粉の花穂に主に含まれているもの。葉にも含まれているらしいが、それを利用すると云うのは聞いた事がない。(抽出して利用されてはいるかもしれないが)

・・・今日CBD製品についてネットでささっと見た限りでは、いくつか疑問に思う事があった。

まずは、一番人気らしいリキッドとして吸引するタイプのモノについて、吸うと『CBD感がある』とする文句が良く出てくる、という事だ。
酩酊感がないはずのCBDを吸って、キックを感じるというのは、これ如何に?

リキッドタイプの方が吸収率がオイルよりずっと上である、という文句もある。
製法として、成分を壊さないためにコールドプレスやその他、熱をなるべく加えない製法で作られていたりする。壊れやすい成分というのがどれなのか気になる。というか、それは、もちろん、CBDのことではないのだろうか?
それなのに、なぜ、吸引の方が体に入って行く率が高まるのだろうか?

・・・と言った事柄が、私にとっては、全くもって神秘なのである。

もう一つ、フルスペクトラム、という単語。
もしそれがフルならば、多少THCが入ってしまうのではないかというミステリーである。(私はミステリーなことが大好きであるが。)
茎や種子には一切、全く、0.00001パーセントもTHCが入っていないとは考え難い。それとも、大麻取締法では、何パーセント以下は対象にならない、と云う但し書きでもあるのだろうか?それはあり得そうな話だが...。

・・・と言ったような事柄にアタマを悩まされながら、今日は、CBD製品の謳い文句などを読んでいたのだった。


・・・そしていま、考えていることは、試してみるならば99%の純CBDクリスタルにしようか、それとも『所謂フルスペクトラム』のオイルにしようか?という事である。


大麻そのものが、本当の意味でのフルスペクトラムとして、健康に良いという事いくつもの研究で証明されていることなので、まあ、現在日本で、合法という事でもてはやされているところのCBDも、それら長年の研究成果に基づいて何かしら健康に良い作用を齎すであろう事を疑うものではない


しかし!本当の意味でのフルスペクトラム、要はそのブツそのもの全体を分かっているかどうか怪しい日本の製品はまだ買わないだろうと思う
木を見て森を見ず、さらに動物や人工物を見ない、というのは碌な結果にならないと思うからだ。

そして、お遊びの様な、ヴェイパーも、少なくとも自分では、まだ、手を出すつもりはない。

日本でも、全体を合法にしてしまえば、研究も増え、製品だって大麻世界トップレベルの地位をあっという間に獲得するであろう事は想像に難くない。

そして、雇用も爆増する事は目に見えている。しかも働く人達も、幸せに働けることだろう。将来の希望が見える。

それだけに、今の日本のカンナビス情勢は、なんだか残念。ちょっと怪しい健康食品の域を出ていないように見えるからだ。

では皆さん、happy smoke.



13.11.19

サプリメント・健康食品・漢方・ハーブ


私は(ちょっとだけ)健康オタクなので昔からサプリメントやハーブを愛用しています。
日本ではまだサプリが未明の時代であったとき、私は欧州にいたので、セントジョンズワートなどの、ドクターに処方されるハーブ薬なども多種多様なものを体験してきました。

セントジョンズワートと言えば、西欧州、特にドイツ周辺では効果が科学的に確立されているものなので、市販の色んな形態のモノであっても、だいたい効果のあるものが多かったのです。

例えば、イメージ的に、一番効きそうにない形態の【セントジョンズワート・ティーバッグ】なども試していましたが、これがまた、体が温まる事によって血流を増加させる効果も相まってか、かなりの即効性があったので驚いたこともあります。

ハーブや漢方では即効性がない、と思われている方が多いと思いますが、実は、絶対にそうとも言えないというのが事実です。

それは製品の作り方によるのです。

未だに日本のサプリは、安いものでは全く効果が無かったり・・・という事態は普通にあります。

海外でも、安物でセールに出されているようなものは、稀に、効かない、という事がありますが、その比率が日本とは大きく違うのです。

一時期、カネカが良質なコエンザイムQ10を出してから、日本のQ10というだけで、日本製とするQ10サプリが欧州で注目されていた時期もありました。

未だに、私は現在は日本に住んでいますが、いまだに、カネカは称賛されているようですね。ドラッグストアでQ10商品を買ったときに薬剤師の方が、私が買おうとしたQ10の瓶の中身について問い合わせてくれました。(それはカネカではないようだったので、その薬剤師保持の販売員は電話の途中で顔を曇らせていました。)

結果、私はそれを買いませんでした。

それは【お試し用】としての用量で売り出していたものだったのですが、安いとは言えない値段でした。

皆さんに言いたいことは、きちんと作られているサプリメントは、初めから効果を実感できる、という事実です!

もちろん、モノにもよりけりですが・・・。

私の20年以上のサプリオタクの経験を、皆様にお伝えしたいと思います・・・。


ではまた後で・・・。





12.11.19

イランの反米感情



イラン反米感情のリアル
という特集記事をNHKで読みました。

イスラム革命前夜の在イラン米国大使館占拠
イランアメリカ大使館人質事件)は、WIKIPEDIAを見ているだけでも興味深い。
アメリカの傀儡政権の様な動きを見せていた当時の国王の政策などによって、格差拡大が起こったために、民衆が蜂起して成功した革命だったのである。

現在の日本と重ねてみる事で、アメリカの干渉が、社会のバランスを格差へと導くことは、当時からでさえも、明確な影響であることがわかる。

なんと国王は民衆の蜂起を恐れて米国へ移住し、米国も入国を許したのだから、この事実が後付けでも、国王がすでにアメリカの傀儡になっていたことが垣間見れる。

日本でも同じような状態になっているのだが、民衆の性質が違うためまだ暴動には発展していない。

放っておけば格差、不平等、貧困の拡大、警察国家などが暴走するであろうことを予見させるような出来事は世界に多くあるにもかかわらず、それを学んでいないために黙っている日本国民行く末を憂う。


7.11.19

朝起きて重力に干渉されるのが地球に存在するものの共通項

寝ている時だけはわからない。
起床と同時に重力を感じるしかない。
年を取るとその感覚は比例して加速していくだろう。
そして仕舞には抗えずに寝たきりだ。寝たきりだよ、みなさん!
特に表出した診断可能な病気をしていなくたって、個人の体力や余力の問題だ。
あーダルい
健康な人だって大した変わりはない。多少のQOLの違いだろう。
だって大多数の人間はせいぜい120年ちょっとくらいしか生きない。
事故や病気も多くある。
現代は高齢化社会だ。

生きる上での危険が減った事、しかし少子化 は由々しき問題だろう。
自分の生命の安全が半分は保証されたかのような世の中に生きていて、寿命もQOLもよくなった気がするんだろう。そして安易に、「自分の好きなことして生きよう。」子供生むのは後でもできる。金さえあれば。

楽しんで生きたい!人生を少しでも謳歌したい!』…こう言う思いは多くの人が持っているだろうことは確かだし、それはそうだろうと多くが納得するだろう。
しかし、大多数の人々がこのような生活体系を維持するには、条件がある。
それはまるで、奴隷と奴隷の主人との暗黙の契約ようなもので、それが常識化している。

それは、ちょっとよく考えてみると、明らかに不平等部分が多分にあるのではないか?と私は感じている。
地球上には、『先進国』と言われる国々がある。
日本も、自称先進国』と表現することが多い。
そこで疑念が湧いてくる。「さあ、それはどうかな?なんかおかしいと思わん?」
国民主体であること、労働時間が短いこと、女性の社会参加においての配慮(性差から、女性男性への対応を変えなければ、真の平等ではない。)...これらだけを見ても、海外先進国(元植民地支配の帝国主義国家であり戦勝国の連合)と比べたら、日本国民の国民主権性なんて全く劣っていることは確かだ。
あまり長く書いてもアレだから、また今度。

20.8.19

日本人の二重の比率はどうか知らないが



日本
に元々二重の人はどのくらいいるのだろうか?
おそらく一重の方が多いのではないだろうか?
これは単に私個人の生きてきた環境からの憶測にすぎないが,一重の方が多いのではないかと思った。ちなみに私の出身地は,閉ざされた集落ではない。だからそこに根付いた人間集団からの集計結果ではない,という事だけは言っておこう。

私は二重なので,子供の時は一重の目がとてもクールに見えて,自分も一重になりたいと思っていた。まさに,ないものねだり そのものだ。

二重が変なものだとすら思っていた。ほかに二重の人がほとんどいなかったのを覚えている。だから,「自分はへんちくりんな形の瞼を持っていてとても残念だ」,と,感じていた。

今でも,一重でもかっこいいと思う瞼はよく見るが,子供の時のように,一重だったらよかったのに,とまでは思わなくなった。ただこのままで良いのだと言う諦めと云うか,諦観とというか,なんというか。「どうでもよい」,とも云う。

もう人生半分以上は生きたような気がする。
そんな長く生きなくてもよい。人生100年時代というが,60歳以上生きたら自分自身を居汚く感じるようになってしまう気がする。今現在も,過去にも,自分自身に向かって「さっさと去ね」,と思うたことが何度もあるし,そんな自分が間違って60にまで生き長らえてしまったら,その暁には死ね死ねという幻聴に悩まされるに違いない,と思うほかない。


なんだか話が飛んでいるようなので,ここでいったん切ろう。ではでは(^^)/