ベジタリアニズムには元々敷居などないのだが,現在に至るまでの日本では,ベジタリアニズムはまるで宗教扱いであった。(というか,大半以上の大多数がそういう反応であった。)
欧米ですら,いろんな形での抵抗感を人々から感じる事は確かにあったが,日本ほどではなかった。その抵抗感とは,雑食の人々が,自らの罪悪感を打ち消したいがため雑食を正当化したり,あるいは,健康的ではないと本気で思ったりしている人々の疑念に道ら態度などであった。
日本では,どんなことでも,他人と違う事はダメなことだ,という極端なワレワレ意識というか,未知のものに対する拒絶反応といったところだろうか??
私個人は他人に対して,ベジタリアニズムを表明したり,また,勧めたり,雑食を諫めたりなどは一切したことがなく,普段も菜食主義であることを隠していたし現在でもそれは変わらないのだが,そもそも,私が思う,ベジタリアニズム精神の目指すところとは,広く人類に受け入れられ実践されることであるから,時が経つにつれ実践者が増えていくことは菜食主義世界の明るい未来そのものだ。
菜食主義を教義の一つとする宗教の信者を除き,もとから肉食である欧米人種が真っ先に宗教抜きの菜食主義の先陣を切って歩んできたのは,やはり,人類において相対的にみて,余裕がある立場であったからだろう。動物も人間も,四六時中目まぐるしく生存競争に明け暮れざるを得ない環境では,ものをじっくり考える余裕すらないという事だ。
日本が欧米並みに肉食をするようになったのは,戦後からだろうと思うが,その日本人が最もベジタリアニズムに対して警戒が解けないように見えるのは何故なのだろうか?
隣の台湾や,また,中国でさえも,ベジタリアニズムは根付いていて,菜食専門店や菜食用の別メニューがある飲食店は何処にでもある。
深く考えず,単純に考えてみると,一つの答えが浮かんでくる。
日本では,「上から全員が従うように強制されなければ,誰も手を付けない」という事だ。これは,選挙で投票に行かない人達にも共通した心理だと個人的には思うのだが,どうだろう?
私は,選挙の投票は,罰金アリで国民の義務として定めるべきだと思っている。
私は,日本人の大半は,日本政府に消費税をいくら上げられても,その消費税の使い道が不透明であっても,そのうち30%や40%になっても,まだ何もしないのでは?と,危惧するものである。
冷笑的な態度でいても,何も変わらない。ベジタリアニズム同様,自分自身の行動を変えなければ,世の中は決して自動的に変わったりはしないのだ。
政府が上から私たち国民の処遇を決定して生存権さえ削られているのが現状だ。
他国の抵抗や運動や闘いを見ていると,何もない日本に,危機感を覚える。
危機感というのは,ここにいると,自分一人がいくら声を上げても,他の日本人はただ上から言われたことに従うだけで,良いように踊らされても平気で生きている者達に合わせて生きて行かなければならなく成るからである。
日本国は昔から互いに戦い続けてきたのだ。そこで天下を盗った者たちが,自分の家族ではなく,味方ですらなく,対等な関係ですらなく,国民のために働いているわけはなさそうだということにすら,考えが及ばないほどに,日本人は余裕がないのだ。なぜかはよくわからない。
私たちのなかで,日本の歴史はどこかで断絶したまま,いまだに繋がらない部分だらけなのではないだろうかと,よく思う事がある。
この世界最古の国家を維持する(それさえ幻想である可能性を否定できないが)それ程古くない歴史ですら,様々な形で断片的に資料などがあるだけで(それらの証拠すら偽造である可能性を否定できていないものが多い),その他は憶測,推測の域を出ない。
多くの歴史好きの日本の人々が,日本は,途中で乗っ取られた国家であると主張している。私は歴史に疎いし,そもそも歴史のように,過去のときの勝者たちが好き勝手に言い放った滅茶苦茶なオハナシの真相を解明するなんて考えただけでも気が遠くなって眩暈に襲われるので,誰かすごい人たちが解明に力を注いでくれることを望むし,出来るなら協力するし,応援する。←結局ソレカヨ
0 件のコメント:
コメントを投稿