29.2.20

【忘却】海外に一か月いただけで、日本の住所や電話番号をすっかり忘れてしまった話。

今月初めのこと。
海外を旅して一か月後、帰国直前に、スーツケースを日本に送る際にそれは起こった。

日本の住所も電話番号も、すっかり忘れてしまっていたのだった。

と謂っても、県や市だけは覚えているのだが、町名は朧気になり、番地はすっかり忘れてしまったので、テキトーに書いて済ましてしまった。

電話番号も、090か070かさえ朧気で、番号はさっぱりわからなくなっていた。(私の電話番号は、0が多く、とても単純で、忘れる方が難しいくらいのなのだが。)


その時は焦燥感に駆られて記憶をたどろうとしたが、すっかり思い出せない状態だった。まるで、日本に居場所を失ってしまったように感じたものだった。

しかし、時間が迫っていたので、そのままにして荷物を預けた。
帰ってから郵便局に連絡すれば何とかなるだろう、という結論に行きついた。
直ぐには必要ないモノばかりである事と、船便なので、時間がかかるだろうから、まだ郵便局に連絡をしていない。


現実逃避というか、今回の旅は、行きたい国に行ったのではなく、ただ日本を脱出したい、自宅に帰るのを出来るだけ伸ばしたい一心で、国内の移動先から旅程を決定し、すぐに飛んだ、という経緯があり、いわゆる逃避行のようなものであった。

海外へ行けば、脳の切り替えというか、言語スイッチが変わり、それによって、思考回路もすっかり変わる。
現住所にいるときとは、頭のスイッチが全然別の世界にワープしてしまうのだ。

脳内逃避行である。

現住所に散々嫌気がさしているという事もあり、内面の自分は解放された状態になり、日本を脱出しているから、記憶も忘却の彼方へと追いやられてしまうのだ。

嫌気がさしている現住所から、早急に引っ越すことがそれを解決する事になろう。

しかし、ここへ帰ってくると、気力がなくなってしまうので、悪循環である。


今月の出来事であるのにも関わらず、もう遠い昔の出来事のように感じている。









検索は【ヤバイ】...?

単語一つで検索をかけると、よく出てくるのが、『●● ヤバイ』だ。(笑)
最近の検索で頻繁に見るようになり、あまりにシンプルトンな検索ワードなのでメモっておく。

出てくるたびに「何がヤバいのか?」、と一瞬、思うだけで通り過ぎていたこのワード。
思うに、【単語 + ワード】 で、その単語にまつわる悪評などを検索したかった人が大勢存在していた結果の「ヤバイ」 なのではないか、と思ったのだが、あなたは「【ヤバイ】検索」をしたことがありますか?

もしかしてヤバイを検索ワードに入れて検索した結果が、このページに行きついた、というわけではじゃないでしょうね?( ´艸`)

では検索楽しんでください。(笑)

28.2.20

今回は支離滅裂なつぶやきへ展開

諸行無常は浮世の常。
時間がすべてをインサイドアウトにぶちまける...。
覆水が盆に返る日もいつか来る。それが、時間。
アルファ&オメガを繋いだウロボロス

感覚を夢見る。
幻を生きる感性。

私の見ている、触れている、過ごしている、感じているのは何?
私とは何?

完璧主義の時間が操る重力の壊れたこの世界
球体が地ならしするその空間

崩壊してゆく
崩壊したあとの、には、
崩壊するしか、ない…。

無いところにしかありえない。
あるというところには破滅が無をもたらす
命ある限り、動き続ける自己を乗せて私となった自分は行くしかない

しかし何処へ?
何処へ行ってもただ覗いているばかりで
このままでは出られない


もう寝ようと思う
寝たところで
全ては動き続け変化するが私はそのままだ

感覚がマヒしそうなこの寒さの中で
熱を発する者は自分一人だ



発熱が寒さを表現する
冷気を受け入れる器はここにある
なにも無いが故に。

一つのうちの相反は背中合わせの双生児のように
また、次なる崩壊したあとの無へとつながり、
この覗き穴から取り巻く球体を見出す

空は輪郭と接点
流入して輪郭は変形し原型を忘却させる

球体, 時間, 永遠, 融合, 交わり逆転、統合

輪郭を外せばメビウスと、球体も揮発し、流入して永遠の堂々巡り
上下左右天地、膨張、凝縮

果てしない時間の有限





ネット界の片隅からこの世の全てを覗き見る今世紀の人類はこれから何処へ行くのだろう

 私は、ネットの世界というのは、世間が言うのとは裏腹に、人間同士が精神でつながる事を可能にするメディアでありその延長線上に展開された世界であるとして見ている。

所謂『現実世界』において、人間は心を、本心を隠して生きているが、ネット上では、身体ではない、別の、2D・3Dのアバターなりハンネなりを自分の新たな姿として、新しい自分を実現しているよう思う。

特に日本では、自分自身を居心地よく感じている人の割合が、他の世界と比較しても少ないように感じられる。

だからこそ、日常の仮面と化した現実の自分の身体を一時的に脱ぎ捨て、新たな場所(ネット上)で新たな体(ハンネやアバターやゲーム上の自キャラ)を介して、あたらしい自分を生きる、という面において、そこで表現されている人格(キャラ)を、(現実世界の型にはまったペルソナ)より真のその人の姿に近いものとして位置付けてみる事が多いのだ。少なくとも私個人はそういう視点でネット世界を観ている。

そうでもなければ、疾うに、ネットなど放り投げていたことだろう。
もしネット界が、世間でよく言われるように、偽りと騙しばかりであるならば。
もし私個人が、ネット界で新たなアバターを使って表現された人間の違う面を肯定的に捉える事さえできないとしたら。


 ひとつの単語をネットで調べれば何でも出てくる。
正誤織り交ぜ感覚器官神経感性は十人十色だ。

理解できるか否か。好きか嫌いか。一つの体験か。
ここへきて人間はまだ、物事の所有という幻想を実感し続けられるのだろうか?







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27.2.20

いまだに世間ではテレビ信者が優勢であることをアクセス数から実感した。そして話はGアカウントへFBへ

以前、『沢尻エリカ』という芸能人の名前をタイトルに含めて記事を書いたら、その記事へのアクセスが最も多くなって不審に思っていたが、何のことはない、そのからくりは、世の中のカスメディア勢が話題にして世間を騒がせているような物事に関連したワードが検索に引っかかっていただけというわけだ。しかもそれはおそらく、検索エンジンからではなく、このブロガー内で表示されたときか、あるいは、ブログ村で『新しい記事』として挙がってきた私の記事を、その単語だけで反射的にクリックした人が多かったというだけなのだろう。

そう考えると、人気のない私のページが寂しく思えてくる

まあ、そんなキーワードで引っかかった人が多く自分のページをクリックしたからと言って、それは私の実力ではないし、戦略の一部ですらなかったわけだから、元々無かったものなのだ。しかし,別の面で多少の勉強にはなった



 しかし私にも、閉鎖されてしまったグーグルアカウントで持っていたブログで、多少は人通りのあるブログに連載したことがあった。と謂うか、そのブログはまだ残されている。
ただ、パスワードのみならず他の何もかも忘れてしまったため、アカウントにアクセスできないだけだ。『何もかも』というのは、つまり、アカウントを作った年月日だの、名前だの、それを登録した国だの、生年月日など、など。・・・そんなことは覚えていない。VPNがどこを経由中かなんて事はいちいち確かめないし、グーグル大王にイチイチ個人情報をそのまま告げるほどノー天気でもない。だから、何も覚えていない。

ということで、これについては、諦めるしかないのかもしれないと思っている。
だが、昔の写真は全てそのアカウントにあるため、諦めきれないでいる(10年以上『完全なる旅人(帰る場所もなく地球上を放浪)』だったため、現実の荷物保存が出来ない上に(さらに,持ち物全てを盗まれたことが二度ある)、記憶媒体に保存してキープする事さえ出来なかった。そのためにクラウドなどに保存していたのに、それを乗っ取られてしまい打つ手がなかったのである。クラウドの意味がなくなってしまった)。多分、このアカウントはgmail創立当初から利用している。

今思い出したが、20年利用しているhotmailにも,復帰できないアカウントがあるのだった。先ほどログインを試みるも、玉砕。対で作ったアカウントには復帰できたのに、メインであった方にログインできず…。マアシカシコチラニモオチドガアッタノデアル。 諦めきれないが。

 しかし、思うのだが、アカウントからの締め出しを行う際、私のように『正直でないユーザー』を、目の敵にして締め出しているような気もする。これは被害妄想か?いや、そうだとも言えないはすだ。何しろ、何度アカウント閉鎖にあってそれらの問題と対峙し、やり取りしてきた経験が多くあるのだ。Gに限らず…。


 蛇足というか、こちらも自分にとっては大変なショックであり大問題だったのだが(いまだにショックである。これまた、そこにしか保存されていない写真をアップしてあるため)、以前には10年使っているFACEBOOKアカウントからも締め出されたが、その時は個人情報云々ではなく、一方的に締め出されて、しまいには日本語と英語でメッセージをしたが、その反応としてイチイチ話を逸らされ、明後日の方向に誘導され、なしのつぶてであった。その時のFACEBOOKの反応は、それはとても奇妙であった。その時は、こちらにバンされるような落ち度はなかった。理由を聞いても答えもしなかった。まるでテンパった様になって次々と話を逸らし続けたのである。

FBで次に作ったアカウントに、本名は使用していない。
いや、元々、個人情報流出への保証もなく、それどころか、逆に、「本名でなければならない」などと、ユーザーを脅すようなポリシーでオープンに運営していること自体が間違いだろう。

そういう事は、社畜社や社畜養成所(職業訓練・研究機関以外の学校)だけでやっていただきたいものだ。おわり。