1.3.20

世界の様々な仏像を見るとき、どうしても頭の中で重なり合わせてしまうモノ




不敬極まりないというか、いや、私個人のものの考え方に依ってみるならば、全く不敬感などないのだが、世界に存在している様々な仏像(巨大なものや群を成しているもの)を見るとき私が思い浮かべる事は、過去閲覧して印象に残っている、ある本に載っていた「心理実験」の様子だ。

その実験というのは、猿を入れた檻の中に、人間かボス猿(ここは記憶が朧気だが)の檻の中に写真を立てて置くと、猿がそれを意識し始め、自分が何か良くないことをする際には、その写真立てを、見えないように伏せてしまう、という場面である。

巨大な仏像を見ると、どうしてもあの猿の心理実験が思い浮かんでしまうのであった...。


切り立った崖に彫刻してある巨大大仏の写真を見てまたぞろアレを思い出した今日の昼下がり。



ものの考え方の部分を説明すると、私は、猿を馬鹿にしていないので、猿と人間を取り違える様な事を言っても、特に不敬であるとかは感じないというだけだ。
それに、仏像を貶したわけでも何でもない。

私は、「自分は、人 間 様 で あ る !」…と、心の中で意味もなく威張り散らしている様な傲慢ちきではないので、猿と同列でも怒ったりしないというだけで、他人が感じる事の責任を取るつもりもない。感情的になる前に、自らも、正々堂々と、主張すべきだ。
自分の主張もなしに他人の批判ばかりするのは止めたほうがいい。

言論には言論で。

言論に対して暴力で答える生物を人間と呼んでよいのかどうか、と、よく思案することがある。



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