15.11.19



放射線被ばくが命に係わる事態である事は疑いのない事実であり、福島原発由来の放射線の基準値はチェルノブイリとは大きくかけ離れている。この事は、国家が国民の知る権利を奪い、生存権を侵し、生命に危険を冒す地域からの移住を促し保護を与える事を怠っているのみならず、それを中途半端に放棄して阻止した。


日本人は被ばく難民として他国に保護を申請する理由がある。国によって通るかどうかは別として。
放射線被ばくが命に係わる事態である事は疑いのない事実であり、福島原発由来の放射線の基準値、住民への対応はチェルノブイリとは途方もなく大きくかけ離れたものだ。この事は、国家が国民の知る権利を奪い、生存権を侵し、生命に危険を齎す地域からの移住を促し保護を与える責任
を怠っているのみならず、それを中途半端に放棄して阻止までした。国家を訴えるにはこれだけでも十分ではないのか?しかし国家を訴えても膨大な労力と時間が犠牲にされて、最終的には国が勝つのだろう。
では、亡命しかないのか。訴える国を間違えると、このことの正当性は闇に葬られてしまう。
耐えがたい抑圧を受けながら日本に居住し続ける事は、精神の死でしかない。放射線障害でボケて、”原因不明”の病気になって死ぬまで、命を削り取られているという事になる。本人の意向に反して、健康に自由に生きられたはずの時間を、やるべき処置を怠った、または足止めした行政に足止めされることによって無駄にさせられることは、これは、全生涯を分割で殺されているということだ。
分割死。人間の一生は短い。
それをいくつかに分けて、無にされたとしたら、
私ならばそれを分割殺人とし、足止めする者に対して責任を問いたい。
日本国が実際は誰のモノであったとしても、私個人の権利を侵す権限を与えたつもりはない。
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