8.11.19

『ないとは言い切れない』究極の自説擁護



『幽霊がいるかもしれない』,とか言っている人たちが良く使うフレーズ。
自説擁護だけはしっかりとするが,宗教の勧誘に騙されるタイプの人たちである。
...幽霊とか云う物のハナシを始める人を見ると,新興宗教に勧誘できるかどうか試しているのではないかと勘ぐる私。
幽霊が幻視ならば,それを利用して騙すことが簡単だと思うからだ。
幽霊と化オバケとか言って騒いていると弱点を曝していることになる。
ただの馬鹿かもしれない,とも思う。
ただのバカだった場合,今後の付き合いもアウツなので寂しいばかりだ。
別に悪い人たちというわけではないからツライ。
幽霊は幻視であると割り切ってくれないものか...
心霊写真とは,脳が作り出したモノ「霊」が見えてしまっているだけである,という事を分かってほしい。目と口があれば勝手に脳が人の顔だと認識してしまっているという事を。
スマイリーを見せれば分かってもらえるだろうか?(笑)
自分が見えないから言っているのではない。
"幻視的" には「見た事がある」,とは言える。
それは多くの人が体験する金縛りだとか夢のようなものだとかの中でのことである。
割り切って幻視を見ているのである。金縛りを無理やり解いたこともある。
オバケとか幽霊とか言って騒ぎはしない。
本当にいるならとっくにとっ捕まえて見世物にして投げ銭で暮らしていることだろう。

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