23.8.19

キリスト教が人格形成の背景になっているにも関わらず,こんなんでました。




人生,紆余曲折,波乱万丈,挫折と自殺実行,記憶が飛ぶほどのトラウマの数々。

まあ,誰しも色々あるのが人生だと思いますが,私もかなりの絶叫系ジェットコースターのような人生を幼少のころから歩んできました。

おかげで,動画でドラマなんて一切見たくないです。自分の人生のドラマで一杯いっぱいで吐きそうな位ですから。



自分の幼少のころから教会に通っていたなどという事は,普段は一切口にすることなどないですが,ここに吐露しておきます。

日本ではキリスト教の人口がたった一パーセントで,しかもそのほとんどが,カトリックだそうですね。

ついでにカルトも一緒くたにされていて,その中でも"普通の"プロテスタント系は,大変少ないようです。というわけで,私は人生において他のプロテスタント系クリスチャンに出くわしたことが一度もありません。

キリスト教という精神的背景を持ちながら,日本で生きてゆくという事自体が非常に稀有な経験であるとともに,大変な障害ともなりえます。

宗教の自由が保障された現代であっても,これはおそらく,隠れキリシタンの時代から,内面的な苦悩としては,ほとんど変わらぬ苦悩,葛藤があるのです。

踏み絵や拷問がなかったとしても,人生のあらゆる場面で,解せない事,聞き流せない事,一般には普通のことであっても自分には許し難い事,さまざまな障害に出くわすはずなのです。

今回はいつものテキトーブログとはちがい,少々まじめな話になってしまいましたが,多くの人が目にするかもしれない,一般公開するか着物の中に自分の真実について一つでも語っておいても良いのでは無いかと考え,今回の文章になりました。

またそのうち関連することについて書いていくことになるでしょう。

それでは,今回はこれまでといたします。









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