8.8.19

「理想社会」への壁

例えば,「国境をなくそう」という理念を共有する人々がいて,彼らにはある共通認識があり,その共通認識こそが国境をなくしても問題がないとされる根拠とされる場合,その理念の上に築かれたところの「無国境」は,無法状態の混沌ではなく,彼らに共有される特有の「良識」の上に成り立っているという事が言える。 それを実現するうえで何がそれを阻んでいるかと言えば,「彼ら」以外の人々に「彼らの良識」が善しとされていないことによる。あるいは,理解されていないという事だろう。 実際,ここで言われる「良識」が,ある人にとっては何らかの損失を意味するものである場合は多くあるだろう。 しかし,逆に,「国境をなくそう」の根拠とされるところの「良識」が「良識」である人にとっては,前者にとっての損失であるという事を知らないわけではなく,その「損失」とされるものは,大多数にとっての損失ではなく,「独占的立場から見た損失である」という認識であり,その独占的な少数派の意見を横暴であるとみなしている場合がほとんどであると思われる。 少数派のために存在を余儀なくされているように見える如何なる規範も,それらの全ては民主主義に反しているだろうか?と問われれば,それは決して,「全て」ではないのかもしれない。 …というのも,何の枠組みもなく社会が回るという事自体が,「人間社会」の規範を外れているとも言えるのではないかと思うからだ。 枠組みがなければ,それはもとより,「人間社会」という枠組みではない社会,と言えるのではないだろうか。 ここで明らかにしようとしていえるものは,「人間社会」に限る。 動物社会でも地球全体の規範でもない。実際は切っても切り離せないところのものであるが,あえて切り離さなければ,話にならなくなってしまうので切り離しているだけなのだが。

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